あなたに会えたあの日から

生まれる前のやくそくが、今、現実になる

さようなら、M先生

f:id:nicosa:20201118091358j:image

こんばんは。nicosaです。

 

 

2020年9月26日。

わたしのだいすきな先生が旅立たれました。

101歳でした。

 

 

先生との思い出の場所は、

母校の図書室。

 

わたしと先生をつなぐ大切な思い出が、

そこにあります。

それは今も図書室に保管されているはず。

 

「学校の図書室で大切に保管していますから、いつでも見にいらっしゃい。」

 

最後にお会いしたとき、先生はそうおっしゃっていました。

 

 

 

高校二年生のとき、夏休みの宿題に「読書感想文〇〇字詰原稿用紙□枚以上」とありました。

 

毎日朝から夕方までクラブ活動で忙しくしていたわたしは、二学期の始業式の前日、つまり夏休みの最終日に、慌てて宿題を始めました。

 

感想文の宿題は一番後回しになり、

眠い目をこすりながら、

明け方にようやく書きあげました。

 

本は何冊かすでに読んでいて、一番心に残っていた作品の感想文を書きました。ほんとうは、中学生の弟がその前の年に読書感想文を書くために購入していたもので、読まずに本棚に押し込んでいたのを、ある日わたしがふと見つけて引っ張り出し、その日の内に一気に最後まで読んだのでした。

 

 

その作品は、

夏目漱石の『こゝろ』。

 

 

「人間の深いところにあるエゴイズムと、人間としての倫理観との葛藤が表現されている。」夏目漱石の晩年の作品です。

 

(「」内は、ウィキペディア 『こゝろ 夏目漱石の小説』の項より引用)

 

 

 

わたしは感想文の最後に

こんなことを書きました。

 

 

「人間の心の壺の中にはいつも多少のエゴは存在するのだと思う。しかし、時にそのエゴは増え続け、ある時心の壺から溢れ出てしまうことがある。恋愛やお金や立身出世にまつわることに直面したとき。自分だけのものにしてしまいたい。お金持ちになりたい。人の上に立ちたい。そして、その最たるものが戦争を引き起こすのではないかと思う。人間は傷つけ合い、奪い合い、相手を支配しようとする。悲惨な戦争は二度と引き起こしてはならない。エゴが心の壺の中から溢れ出てしまわないように、自分の心の中にいつも気をつけていたいと、この本を読んでそう思った。」

 

先生は、

わたしに何も伝えずに

わたしの感想文を

作文コンクールに出しました。

 

 

わたしの感想文は

佳作に選ばれました。

 

 

校内放送で、

M先生はわたしを呼び出しました。

 

 

「至急、図書室に来るように。」

 

 

M先生は、

学校でも一番のご高齢の国語講師の先生で、

戦争中の頃から教師をされている

お行儀にとても厳しい先生でした。

 

 

友だちはみんなびっくりして、 

 

nico!何したの?大丈夫?」

「遅刻が多いから?」

 

と心配しました。

 

「行ってくる。」

わたしは急いで図書室に向かいました。

M先生は図書室の担当の先生で、

学校にいらっしゃるときは

だいたい図書室にいらっしゃいました。

 

 

先生は、

感想文をコピーしたものを

わたしに手渡しました。

 

「とても良い感想文でしたので、わたしの判断でコンクールに出しました。佳作でした。全校生徒にこれを配布して、わたしが校内放送で読み上げます。いいですね。」

 

もう1人の男性の国語の先生が、

「おめでとう。とても良く書けていました。学校のみんなにも聞いてもらいましょうと、M先生がおっしゃってね。大丈夫ですか?」

と言いました。

 

嫌です!とは言えませんでした。

わたしが、小さな声で

「はい、分かりました。」

と言うと、

M先生はとても嬉しそうに

笑っていらっしゃいました。

 

 

M先生が

校内放送でわたしの感想文を読み終えて、

 

「とても良い感想文です。」

「nicosaさん、おめでとう。」

 

と言うと、

学校のあちこちからたくさんの拍手が

聞こえてきました。

 

 

わたしの前の席の友だちが

くるっとわたしの方を向いて、

恥ずかしくて下を向いていたわたしに

顔をくっつけて、

「すんごい感動したよnico。」

「後でサインちょうだいね。」

と言いました。

 

 

それから数年経って、

大学生になったわたしを、

M先生が車椅子に腰掛けて、

娘さんに車椅子を押してもらって

家まで訪ねて来られたことがありました。

 

 

わたしの大切な高校時代の友人が、

交通事故で亡くなった少しあと。

6月の少し蒸し暑い梅雨の晴れ間の

ある日のことでした。

 

 

突然いらっしゃった先生に

驚いて何も言えないわたしに、

先生は優しくこう言ってくださいました。

 

 

「どうしていらっしゃるかと思って。」

 

「若くして突然大切な人を亡くしてしまったら」

 

「周りの人はどうしたらいいか分からないものです。」

 

「あなた、仲良くしていらっしゃったものね。」

 

 

それからしばらく

先生と近況をお話しして、

先生は帰られました。

 

 

同窓生に聞いてみても、

他の生徒の家は

訪ねていらっしゃらなくて、

わたしのところにだけ

いらっしゃったようでした。

 

 

そのとき、わたしは

まだ知らなかったんです。

 

 

先生が戦後ずっと

どんな活動をされて来たのか。

 

どうしてわたしの母校に、

戦闘機の模型が置いてあるのか。

 

エントランスに、

少女の立像が置いてあるのか。

 

M先生が話されていた気もするけれど、

聞き流していたのかもしれません。

 

 

先生は、

ほんとうは、

わたしを訪ねていらっしゃったとき、

わたしに言いたいことが

他にもあったんじゃないかと思うんです。

 

 

ずっと、

それが何か

はっきりとは分からないままでした。

 

 

でも、

 

2018年に、

同窓会誌を読んで、

 

母校の戦争の記憶を知り、

 

動員中に麦畑で亡くなった三人の少女のこと、

当時母校と同じ場所にあった旧制女学校の

教師をされていた、M先生の

当時を振り返る手記を見つけ、

 

そのあと、

不思議な夢を見て。

 

 

それから、今年。

2020年。

 

 

秋の気配を感じ始めた頃、

先生の訃報を知り、

先生は、

あのとき、わたしに、

バトンを託しに来られたのではないかと、

そんなふうに思うようになりました。

 

 

先生は、

戦後70年近くも、毎年、

戦争で亡くなった生徒のご遺族や

負傷した生徒を訪ね、

お話しを聞かれていたそうです。

 

 

戦争が終わってもう70年以上経ったのに、

学校の校舎も建て変わり、

あの麦畑も、

何もなかったかのように

様変わりしているというのに、

まだ癒されない人たちがいて、

先生はその人たちの心を

癒そうと、

 

その人たちへの訪問を

続けていらっしゃったのではないかと

思うのです。

 

ずっと、

体が自由に動かなくなっても。

 

 

先生とわたしをつないだ読書感想文。

 

先生からのバトンを

わたしもつないでいこうと思います。

 

 

 

nicosa