あなたに会えたあの日から

生まれる前のやくそくが、今、現実になる

ほむら野の 〜約束の場所(たいせつな友だち)前編


こんにちは。nicosaです。









今日は、2018年の2月〜3月の間に思い出した、たいせつな友だちとの約束のことをお話します。3部編の内の前編です。





太平洋戦争の時代。
とても短い一生でした。
14年という短い命。



日本の各地で米軍の空襲が激化した太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)、豊中市内でも6回にわたる空襲があり、死者575人、負傷者898人、罹災家屋3,540戸を数え、大阪府内で3番目に大きい被害を受けました。

豊中にはアメリカ軍の標的となった伊丹飛行場(現・大阪空港)がありました。


低空飛行で迫る戦闘機を家の窓から間近に見ることもあり、飛行帽をかぶり、真っ白なネッカチーフを巻いた戦闘機の中のアメリカ兵の姿がはっきりと見えることもありました。

あと数ヶ月で終戦を迎える1945年の6月。
豊中を襲った大空襲。

戦闘機から放たれた焼夷弾が左脇腹を直撃し、炎に包まれた麦畑の中で死にました。14歳の少女でした。


女学校の学生でした。学校から少し離れたところにある工場で、戦闘用飛行機 紫電改の部品を作っていました。その頃の学生は、お国への勤労奉仕のために学徒動員され、学校で授業を受けることはほとんどなく、お国のために働いていました。お国の役に立てることがうれしくて、朝から一生懸命に部品を作りました。


若い大人の男の人は順にみんな戦場に行き、大人の女の人は在郷婦人会の仕事や家族の世話や年老いた両親を防空壕に避難させたり日々の食べるもののやりくりで忙しく働いていました。


1945年6月7日。

アメリカのB29という戦闘用小型飛行機が、豊中の空を埋め尽くすほど、たくさん飛んできました。

わたしたちは、付き添いの先生の指示で、
工場の近くの麦畑の中に、
隠れました。

昼間なのに空は真っ暗でした。そして、アメリカの戦闘機B29の射撃がはじまると、わたしたちは雨が降る麦畑を泥だらけになりながら逃げ惑いました。黒い空から、赤い火の玉が、後から後から落ちてきました。恐ろしくて。恐ろしくて。

B29は、
麦畑に隠れている女学生や先生、
働いていた工場周辺をめがけ、
焼夷弾を打ちこんだのでした。

その大空襲で、
わたしの他に、
同じ学校では、
2人の女の子が、
麦畑の中で死んでいます。
病院で死んだ子もいました。


逃げる時、
女学校のお友だちはみんな、
自分の学校に戻ろうとしていました。


そこに行けば安全だと思ったからです。
先生が待っていてくれるから。

でも、学校にはもどれませんでした。

学校にもどって、
お友だちや先生に会うこと…
それが、炎に包まれる麦畑で亡くなった
3人の少女の約束になりました。




必ずまた学校で会おう。


炎野(ほむらの)の約束。




その約束は、
時空を超え。


学校に帰りたい…
3人の少女の想念は、
それを現実にするのです。








nicosa