あなたに会えたあの日から

生まれる前のやくそくが、今、現実になる

わたしの嫌いな人

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こんばんは。nicosaです。

 

今日は、わたしがずっと嫌いだった人、ずっと好きになれないでいた人のことをお話しします。

 

 

 

わたしは、

小さい頃からずっと

自分の祖父(母方の祖父)のことを

好きではありませんでした。

 

 

すぐに手をあげる人で、

口数が少なく、

いつも新聞や本を読んでいて、

 

 

メガネの分厚いレンズの下の目は、

わたしから見ると

とても冷たい目のように

見えました。

 

 

おじいちゃんとおばあちゃんに

戦争体験の話を聞いてみましょう!という

夏休みの宿題が出たとき、

 

おそるおそる祖父に聞いてみたら、

 

「じいちゃんは、そんな話はしたくない!」

「じいちゃんは、戦地で、靴下を自分で履いたことはない!」

「話すことがあるとすれば、それだけだ!」

 

祖父はとても怒っているようで、

わたしの顔すら

見ませんでした。

 

 

そんな祖父なのに、

家族で食事をするときも

親戚の集まるときも

いつもわたしを自分の横に座らせました。

「ここに座りなさい」と。

 

 

わたしにとって祖父は、

あまり会いたくない、怖い人でした。

 

 

でも、だいすきな祖母は、

自分の夫を決して悪くは言いませんでした。

最期の最期まで。

 

 

それどころか、

最期に会ったとき、祖母は

並んで横に座ったわたしの太ももを

優しく摩りながら、

 

「ばあちゃんはもうすぐ」

「じいちゃんのところへ行きます」

「じいちゃんは、いつも丁度いいときに」

「ばあちゃんを迎えに来てくれます」

 

と、皺が深く刻まれた

丸い頬を、少し赤らめて、

曲がった背中をゆっくりと

少し伸ばしながら、わたしを見上げて、

そう言いました。

 

 

「ばあちゃんは、しあわせ者」

「じいちゃんは、ばあちゃんの初恋の人」

 

 

 

昨年からずっと、

自分の身の回りのものを

整理していて、夏だったと思います

祖父からの、たくさんのわたし宛の手紙を

見つけました。

 

わたしは、

それを、ほとんど読んだことが

ありませんでした。

 

文字が達筆で読めなかったのと、

好きではない人からの手紙だったのと。

 

 

昨年、はじめて

祖父の手紙を、ひとつひとつ

ゆっくり丁寧に読みました。

 

祖父の時代に特徴的な

ときどきカタカナが混じる

見慣れない書き方で綴られていて、

 

でも、

わたしが読みやすいように

ひとつひとつ言葉を、丁寧に

選んで書かれたことが分かる手紙でした。

 

 

でもやっぱり、

好きにはなれませんでした。

祖父の文章には、とても「違和感」が

あるのです。

 

 

「自分より下の人を」とか、

 

「自分より上の人」とか。

 

 

祖父にとっては使い慣れた言葉。

 

 

その蔑視を含む言葉が、違和感なく使われた

その時代、社会を生きた祖父を、

 

わたしはどうしても

好きにはなれませんでした。

 

 

…わたしは、

「支援」という言葉や

「リベンジ」という言葉も、

あまり好きではありません。

 

 

「支援」という言葉の向こう側には、

上下を感じるし、

 

「リベンジ」は、

本来は「仕返し」「復讐」という意味です。

 

どんなに親しい人でも、

尊敬する人でも、

この言葉を平気で使う人には、

少し興ざめしてしまいます。

 

わたしの勝手な解釈ですが。

 

「協働」とか「リトライ」とか

そんな言葉に置き換わる日が来たら、

いいのになあと、そう思います…

 

 

 

…この前、

祖父の若い頃の写真を見つけたんです。

 

先日の記事「ハブラシ」の

サラリーマン時代の写真や、

兵隊に行っていたときの写真や、

自分の子どもたちと写した写真を。

 

 

www.nicosa.tokyo

 

 

祖父が好きだった本のこと、

祖父のお気に入りのスーツや帽子や

ステッキのこと、

大切にしていた家具のこと、カメラのこと、

 

一緒にした、まわり将棋のこと、

カルタ取りのこと、

柿もぎの日のこと、

さつまいもの収穫のこと。

 

 

それが、いっぺんに、頭の中に

蘇りました。

 

 

そして、とても衝撃的だったというか、

心に何かが刺さった気がしたのが、

北京で撮った軍服姿の祖父の写真でした。

 

 

メガネのレンズが

まだ薄くて、

その目がはっきりと写真に写り込んでいました。

 

 

右の目と

左の目の

視線の向きが

違っていました。

 

何を見たらいいのか分からない。

わたしには、

そんなふうに見えました。

 

 

 

晩年の祖父は、

メガネをしないときもありましたが

そういう目をしてはいませんでした。

 

 

とても、ショックで。

 

 

そして、思い出したんです。

 

 

祖父がわたしに手をあげても、

ピシャンとわたしを叩いても、

 

ちっとも

痛くなかったことを。

 

 

その叩き方を、

相手が痛く感じない叩き方を、

いつ

どこで

祖父は覚えたのか。

 

 

(兵隊の時に、その叩き方を覚えたんだ…そう思いました。)

 

 

それを思うと、

わたしは、

祖父を嫌いには

もう、

なれませんでした。

 

 

 

わたしを叩いた祖父も、

祖母に辛い思いをさせた祖父も、

どの祖父も、もう、

好きにならずにはいられませんでした。

 

 

祖母の言うとおり、

 

「じいちゃんは頭が良くて、男前で、優しい」

 

そのとおりなんだと、思いました。

 

 

 

 

 

きっと、祖父は、今も、

 

さざんかの花が咲き始めると

わたしのことを思い出して、

 

「元気で、楽しく、ガンバッテ」いるかな?と、

 

わたしを、そっと

見守ってくれているんだと

そんな気がしています。

 

 

 

 

nicosa

 

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