東京オリンピック2020の聖火ランナーが、昨年末に発表されました。
聖火ランナーの第一走者は、2011年サッカー女子W杯ドイツ大会優勝チーム「なでしこジャパン」のメンバーと決まりました。
3月26日、彼女たちと佐々木元監督は、2011年の東日本大震災の際、原発事故の対応拠点だったスポーツ施設「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町、広野町)を走ります。
「復興五輪」の象徴として。
Jヴィレッジは、なでしこジャパンが合宿に利用した場所で、彼女たちにとっても苦楽を共にした思い出の場所です。
そのニュースを観た、
cicoの嬉しそうな顔。
「かっけぇ…」
cicoが、
思わず呟きました。
テレビに映った、
元なでしこジャパンの選手の中に、
cicoの憧れの人がいました。
海堀あゆみさんです。
cicoは、
彼女に憧れて、
サッカーを始めました。
W杯決勝。
同点で勝敗決まらず、
迎えたPK戦。
ボールの行方に、
一喜一憂する満員の観客。
その目線の先の、
ゴールの中に、
彼女はいました。
ゴールに向かう凛とした姿と、
彼女の美しいセービングに、
観客は何度も立ち上がり、
拍手を送りました。
拍手は鳴り止みませんでした。
cicoはその日から、
サッカーボールを、
自分に向かって蹴って欲しいと、
せがむようになり、
海堀さんと同じように、
横っ飛びでボールを止めて、
ゴールキーパーの真似をして、
遊ぶようになりました。
幼児用のキーパーグローブを、
買ってあげると、
大喜びで。
海堀さんに、
ファンレターを、
何度も送りました。
cicoは一生懸命に、
小さな手で、
一文字、一文字、
「かいほりさん」
「サッカー」
「がんばつてください」
と、書きました。
彼女の引退のニュースを知ったcicoは、
彼女に手紙を書きました。
「かいほりさん」
「やめないでください」
「オリンピックに」
「でてください」
「おねがいします」
引退が発表された後のファンイベントの、
帰りの電車の中で、
cicoが泣いていたのを、
覚えています。
「オリンピックに出てもらいたかったの」
彼女が引退する姿、
数年後に、
彼女がコーチ兼選手として復帰する姿、
わたしとcicoは、
それを、
見届けることにしました。
わたしたちに出来る限り、
彼女の想いを、
すべて受け止めることにしました。
それから、
時は流れて、
海堀さんが、
目の病気だったこと、
大学に入学したこと、
熊本のチームで復帰したこと、
東京オリンピック聖火ランナーになったこと、
テレビや雑誌で、
知りました。
cicoにとって、
彼女はずっと、
憧れの人。
レジェンドなのです。
そして、
海堀さんが、
レジェンドでいてくださることが、
cicoがサッカーを続ける、
その支えになっています。
レジェンドと言われる人は、
自分の使命を、
知っているのだと思います。
ペレも、ジダンも、
澤さんも、
カズさんも、
清原さんも、
そして、海堀さんも。
自分に憧れてスポーツを始めた子どもたちがいる限り、自分はレジェンドで居続ける必要がある。
自分の背中を見て、
子どもたちは成長していく。
レジェンドで居続けることは、
とても大変なことだけれど、
それができるから、
レジェンドなのだと、
思います。
そして、
レジェンドの背中を追いかけて、
がんばっている、
その人たちがいるから、
レジェンドは、
レジェンドで、
居続けることができるのだとも思います。
直接親しく会話を交わしたり、
励まし合ったり、する訳ではないのに、
その両者は、互いに、
とても大切な関係。
海堀さんがオリンピックで活躍する姿を、
どうしても見たかったcicoと、
オリンピックの聖火ランナーを引き受けた海堀さんと。
2020年という節目の年に開催されるオリンピックを前に、
cicoと海堀さんの想いは繋がりました。
偶然かもしれないけれど、
それならば、
とても素敵な偶然だと。
テレビに映る海堀さんを見つめる、
とても嬉しそうなcicoを見て、
「よかったね。cico。」
そう思いました。
nicosa