あなたに会えたあの日から

生まれる前のやくそくが、今、現実になる

双子(ふたご)

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こんにちは。nicosaです。

 

気が付けば大寒を過ぎ、立春まであともう少し。

もう少しすれば、梅の花のつぼみが膨らみはじめ、かたい地面を突き破って、ムスカリの緑の芽が顔を出します。

 

2020年が終わるとき、

夫がまたお酒を飲んで、

手際の悪いわたしに「出て行け」と怒鳴りました。

赤い顔をして、わたしを睨みつけ、

拳で壁をドンドン叩きつけました。

 

「人を変える魔法のことばなんかない」

「奇跡は起こらない」そう思いました。

 

マイケル・ドリスという人の本を読みました。

読めば気持ちが落ち着くような気がして。

読みながら、年を越しました。

 

マイケル・ドリス氏は、

ネイティブ・アメリカンの研究者で、

人類学者です。

 

小説家でもあり、

先住民の子どもを主人公とする小説を

残しています。

 

『水の国を見た少年』という小説の前書きに、

 

「(この小説が完成したのは)

ルイーズ・アードリックの思いつき、

はげまし、批評、忍耐のおかげ」

と記されています。

 

「ルイーズ・アードリック」は、

彼の妻でした。

 

ドイツ系アメリカ人の父と、

先住民オジブワ族と

フランス系アメリカ人の血を引く母との間に、

長女として生まれ、

インディアン居留地で育った女性でした。

 

ドリス氏と出会ったことで、彼女は

自身の祖先の歴史や文化に興味をもち、

調査、研究するようになりました。

母系社会で、女性が部族をまとめるオジブワ族。

後に彼女は、その先住民族の大河小説や

児童文学作品を執筆しています。

 

二人は大学で出会い、

1981年に結婚し、

その後、離婚。

離婚後の1997年に、

ドリス氏は亡くなっています。

自殺だったと言われています。

 

 

ドリス氏が亡くなった翌年、

日本で一冊の本が出版されました。

日本語に翻訳された

マイケル•ドリス著『水の国を見た少年』。

その最後の章に、

先住民の部族の首長(姉)が、

亡くなった自身の双子(ふたご)の弟との

思い出を、

主人公の少年に語るシーンがあります。

 

「わたしらは双子だった、弟とわたしは。わたしのほうが先に生まれ、灰色の火〈グレイ・ファイア〉はわたしのあとからこの世へひっぱりだされた。わたしらの目はあいていた。手を固く握りあっていたので、とりあげ婆は指に脂を塗って、わたしらの手をはなさねばならない始末だった。しかし、ふれあっていないときでさえ、わたしらは決して遠くはなれたことはなかった。わたしが目をさませば、灰色の火は眠っていられなかった。彼がお腹をへらせば、わたしは母親の乳をいっそう必要とした。彼がなにか ーー鳥とか植物ーー の名前をおぼえたら、教えられなくても、わたしは同時にその名前をおぼえた。そもそものはじめから、わたしらはほかのみんなに聞こえることばを使わないでも、たがいに話しかけることができた。わたしらの父親は心配した ーーたぶん、口がきけないと思ったのだろう。ほかの赤ん坊のように泣いたこともなければ、『かあか』とか『とうと』といったこともなかったのだから。でも、自分たち以外のだれかにいうことがなかっただけのこと。とうとう口をきくようになると、ちゃんとしたことばでしゃべっていた。声には出さない会話でちゃんと練習していたのだから。

 おまえに想像がつくかな?眠りのなかでさえ、ひとりぼっちにならないのはどんなふうか、相手のありのままの考えが、音楽のようにたえず鳴っているのがどんなふうかが。

   (中略)

 もちろん、年をとるにつれ、ちがいは生じてきた。わたしは狩人としてよく知られるようになった(中略)

 灰色の火はそういうことはできなかった。遠目だったり、うしろ姿だったりすれば、みんなに見まちがえられてばかりいるほど、わたしらはうりふたつだったものの、彼はずっと思慮深かった。いつも絵を描いていた。いつも大好きな風景をとらえようとしていた。そして若者になると、わたしには追いつけないほど速く遠くまで走れるようになった。

 たいていの人間は、すこしずつ慣れることで、ひとりぼっちがどういうことかを学ぶ。まるでめずらしい果物の味や、新しいモカシンのはき心地に慣れるように。ところが、わたしにすれば、そういうわけにはいかなかった。はじめて灰色の火が追いつけないほど先を走りつづけたとき、孤独がのしかかってきて、わたしを包み、粘りつく網にからめとったのだ。自分の半分が急にいなくなった。息を吐きだしたが、吸いこむことができないのだ。片目で見て、片耳で聞くのだ。心臓は半分しか打たない。わたしは半分しか生きていなかった。半分も生きていなかった。いつもふたりでいたのに、ひとりになることは、深くせまい穴にはまることだ。

 だから、ものごとを元どおりにすることにした。(中略)

もちろん、灰色の火を救けにいくつもりだった。彼があきらめるまで隠れていて、それから救けるつもりだったーーそうやって恩を売れば、二度とわたしのもとから走り出さないだろう。二度とはなればなれにはならない、こんどはたぐり寄せればいいのだから。そうわたしは思ったのだ。

しかし、まちがいを犯した。彼の名前を大声で叫んだ。悲しげで、せっぱつまった声を出したーーどれほどわたしが必要か思い出させるための仕上げとして」

 

「弟の愛情の深さをみくびっていたのだ。それはどんな外界の美よりも強かった、(中略)

その日からのち、彼はもはやわたしのもとから走りさることはできなかった。それはたしかだが、元どおりの人間にもどりもしなかった」 

 

(『水の国を見た少年』Michael Dorris著 中村 融訳 新潮社 1998 より引用抜粋)

 

 

 

 

中学からの友人に、

一卵性の双子の姉妹がいます。

二人がこんなことを言っていたのを

思い出しました。

 

「(双子の片割れの)考えてることが分かる気がする時がある」

「いつも同じ人を好きになる」

「性格は、正反対なところもある」

「離れたいと思ったこともあって。だから違う大学を受験したのに、(片方が)浪人して、気が付いたら結局同じ大学に通ってた」

「今も繋がってるんだなって思う」

 

 

 

双子だから。

それはきっと、

双子だから。

そう思いました。

 

 

 

※トップの画像は、通りかかったお寺の前の掲示板に貼られていたものです。

このことばに、もし続きがあるとしたら、「未来と自分を変えられたとき、過去と他人も変えられる。」…かな…と、そう思いました。

 

 

※「登場する想像上の人々についてさらに知りたいむきには、彼女(ヘレン・C・ルーントゥリー)の著作『ヴァージニアのポーハタン・インディアン』The Powhatan Indians of Virginia(オクラハマ大学出版局、一九八九)を推奨する。」

(同じく『水の国を見た少年』前書きより引用)

 

 

nicosa