あなたに会えたあの日から

生まれる前のやくそくが、今、現実になる

執着


こんばんは。nicosaです。





今日は、


2018年2月に、
彼は特別な人だと気付くまで、


無意識のうちに、
わたしが一生懸命にしていたこと、




わたしが、
何かに背中を押されるように、
していたこと、


それを、
お話ししようと思います。






2018年の春頃だったと思います。


わたしが、
いろいろなことに、
気付き始めた頃。



彼と、
何度も何度も、
メールのやりとりをしました。




わたしが、彼を、
質問攻めにしました。



わたしは、
彼のことを、
よく知らなかったからです。


共通の知人から聞いた、
奥さんとの馴れ初めや、
これまでの仕事ぶりや、
表面的なことしか知りませんでした。


どんなものが好きで、
どんなことが嫌いで、
いつから約束の場所にいたのか。
知りたいと思ったからです。



表面的なことしか知らないのに、
「特別な人」のような気がする。

彼はいったい何者なのか、
知りたかったのでしょう。



その彼とのやりとりの中で、



とても印象に残っていることがあります。


それは、
「執着」について、

彼とわたしが話したときのこと。





わたしは、



好きなものには、
とても執着し、
極めないと、
気が済まないタイプです。



好きなものには、
散財し、
お金がなくなってきて、
「ハッ‼︎」と我に返って、


そのあとは、
なぜか、
まったく執着しなくなる。





そういえば、熱心にやってたことあったねー!




と、




あんなにこだわっていたのに、



ある日突然、



それは遠い昔の話のように思える。







普段から、
どちらかといえば、
そういう傾向がありましたが、

そういうことを、
立て続けに、
次から次へと
繰り返していた時期がありました。


その、
執着の対象は、
数えきれないほどで…。







「わたしは、今まで、これだけの好きなものに出会ってきたんですけど、あなたは何かこだわるものとか、とても好きなものとか、ありますか?」



わたしは、

自分がこだわってきた、

いろいろな物や事を、

一つ一つ書き連ねてから、



彼に、そんなふうに尋ねました。




彼の答えはこうでした。



「ぼくには、こだわるものは、何もありません。すみません。」



「あんまり、ものごとに執着しない方なんです。すみません。」






その返事を読んだ時は、



こだわりのない人なんて、
面白くない
と、思いました。



そんな人間味のない人を、
わたしは、
好きにならない。
(いつもなら。)



今思うと、


彼には、
そもそも、
執着がほとんどないのだと思います。




生まれながらに、
手放しが、
できている。



雑念がない。



そういう人なんだと思います。






彼とわたしは、正反対なのです。





わたしは、
彼に出会うずっと前から、
いろいろなことに、
こだわりのある方でした。


それは、
わたしの家族が、
みんな、
そうだから。




家の外壁は漆喰が良し。


北欧アンティークの家具が、
とても好みだ。


絵画は、
写実的なものよりも、
抽象的なものの方が好み。


合皮の靴は履かない。


車は…
服は…


そういう家族の中で育ちました。






好きな物や好きな事は、
ずっと好きで、
それは変わりません。



でも、
徹底的に執着したら、
必ず、
ある時、
パタッと、
距離を置く。



執着しては、離れ、
執着しては、離れ。



それが、
激しくなったのは、
1999年頃から。



そのとき、


わたしは、
彼との約束の場所にいました。



1998年の冬から2003年の冬まで。





そして、





彼も、


…そこにいたのです。





まったく気付きませんでしたが、
彼とわたしは同じ場所にいました。
二人の約束の場所にいました。




わたしは、
一生懸命、
「執着しては離れて」を、
繰り返しました。




納得するまで極め、

執着と、

程よい距離を置く。


その繰り返し。



ガーデニングかぎ針編み、パン作り、パン屋巡り、チーズ、ワイン、紅茶、ミネラルウォーター、食玩アンティークドール、車、サッカー観戦、リネン、糸、小麦粉、カメラ、料理、スパイス、カレー、フランス、絵本…





執着は、
わたしの中で起こるので、
それが、
自分の外に現れることは、
あまりありません。


執着は、わたしの中で起こり、
執着は、わたしの中から消えていきました。



子どもが生まれる2006年までが、
一番激しく、
それはおこりました。




彼が近くにいることを、
心の中では知っていて、



無意識の内に、



自分の身にまとっている、
分厚い執着を、
必死で、
剥がそうとしていたのかもしれません。


わたしがここにいることに、
彼に気付いてほしくて。



ほんとうの自分の姿にならないと、
彼は、
わたしに、
気付いてくれない。



心の中では、
それを、
知っていた。


…そう思います。




子どもが生まれてからは、
そこまで執着することは、
なくなっていきました。




子どもが生まれて忙しくなって、自分のことに構っている暇がなくなったからかもしれませんし、「浄化」が進み「手放し」ができていったからかもしれません。



そして、
2006年の秋以降は、


執着の対象は、
もっと内面的なものになっていきます。
そして、
だんだんと対象も大きなものになっていきます。



自分にはできないと思い込むのをやめ、一度やってみる。

自分にはできないと思い込み、それに執着し固執し、人に依存する。
このルーティンを少しずつ辞めてみたのです。


あれっ、出来た!出来ちゃった!

ああ、やっぱり出来なかった…
でも、やってみて良かった。
楽しい経験ができた!


うまくいくことも、
うまくいかないことも、
しっかりと自分で、
受け止めました。




これは、
子どもが生まれたから、
母親になったから、
がんばれたのかもしれません。



できないと思っていた、
車の運転にチャレンジしました。
営業の仕事にもチャレンジしました。




そして、
2009年の夏、
営業先の企業で、
彼と会います。


あの、
約束の場所でした。



彼はわたしに気付きませんでした。
わたしも彼に気付きませんでした。



わたしの無意識の努力は続きます。

人に依存せず、
いろいろなことが、
わたしにもできる!
一人でできる!
と、
気付いていきます。


そして、
2014年の冬、
ようやく、
彼は、
わたしに気付いてくれました。




執着の鱗が、
まだらに削ぎ落とされたわたしは、
彼にはどんなふうに見えたのでしょう。



「見つけた?」←(彼)

「あの子? あの子だよな。汚れてるけど。」←(彼)


「うーん、あともう少し。」←(彼)

「やれやれ。しょうがないな。」「手伝うか。」←(彼)

…彼の心の中は、そんな感じだったのでしょうか。



2015年の夏からは、
彼がサポートに入り、
わたしの浄化を早めます。
わたしは目に見えて変わっていきます。






わたしが変わっていく…。
あの頃、わたしは、自分でそう感じていました。




2018年の2月以降は、
意識して、
執着やこだわりと、
距離を置こうと、
努力するようになりました。


自分の考えを持たないYESマンは嫌い、
依存体質の人は大嫌い、
と思うのをやめてみる。
(これは、苦戦中)


困っている人を、
なんとかしてあげようと思うのをやめる。
他人を変えようとするのではなく、
自分に目を向けて、自分が変わる、
そのために、
自分のほんとうにやりたいことだけをする。
(これも、実践中。なかなか難しい。)







今は、また少し変わって来ました。



最近、
彼がよく言う言葉、


「流れに身を任せる」


頭でいくら考えても、
うまくはいかないので、
手放しをしようとすることすら手放す、
そんな感じになってきています。


それは自然な流れで、
自分でそうしようと思ってしている訳ではなくて、
彼のポロっと話す言葉の中にあるヒントを拾って、
わたしも彼と同じ流れに乗って行く…



今は、そんな感じです。




nicosa