会社に行ったら、 Aさんからメールが来ていました。
Aさんとわたしが、7月まで、アウトソーシングにかかわるご相談を受けていた企業のことが書かれていました。
「外部から経営資源を調達する」
「企業経営において重要度がそれほど高くない ノンコア業務 や、 ルーチンワークで解決できるものを外部に委託する」
「もしくは逆に、高度に専門的な技術や知識が必要とされるため、 内製するとコストが割高になるものを、その専門外部業者へ委託する」
強い企業となることを目的に、それを実現するため、わたしたちが行った具体的な提案を、自分たちで実現するどころか、結局何一つ変えず、企業側がAさんへ発した言葉は、引き続き無償の相談窓口を設置してもらいたいとの要望だったと書いてありました。
昨年の途中から、
Aさんと始めた「相談窓口」は、
会社の新規事業開拓のために、
ほぼ無償で試行していたものでした。
今後、
AIがますます進化したとき、
人間にしか出来ない仕事は、
人間だからこそ出来る仕事は、
「人に寄り添うこと」
それだけなのかもしれないと、
そう考えたからです。
ただ、
「相談窓口」というものに、
需要があることは分かっていましたが、
そこが依存の温床になることも、
予想していました。
その現場の、
数年、もっと先の、行く末を案じて、
現場を守るために、
様々なご提案をしてきたわたしには、
企業の出した答えは、
こう言っているように思えました。
自分たちは何も変えるつもりはない。
現場が潰れようが、自分たちには関係ない。
何か起こった時に依存できる先は確保しておきたい。
自分がここにいる数年間の評価さえ落ちなければ、何も問題はない。
現場が潰れてしまえば、
すべてが潰れると、
あれほどお話したのに。
Aさんはメールに、
こんなふうに、
綴っていました。
これはもはや宿痾ともいうべきで、
簡単に治癒するようなものではなく、
就職氷河期の安い人件費の人たちを、
現場に配置し、
企業もアウトソーシング業界も、
その人たちを、
使い潰してきた、
その30年間の、
その成れの果てともいえる。
依存や、
怠惰や無知は、
進歩のきっかけにはなるが、
ここまでくると、
手の付けようがない。
今年を最後に、
僕も、離れようと思う、
と。
その短い文章から、
Aさんの深い落胆が、
伝わってきました。
現場を見続けて、
現場を守ろうとしてきた Aさんの、
深い悲嘆。
5年という年月をかけて、
まずアウトソーシング業界側の自分たちが変わる努力をし、それを企業に示し、採算度外視で、企業にも変わることを提案し続けました。
まず、目の前の現実から目をそらさずしっかりとそれを見極め、現実を受け止め、対策を講じ、少しずつ変えていきましょう。
相談窓口は、
依存を加速させるだけとなり、
何も伝わらず、
何も変わらず。
Aさんのおっしゃる、
「怠惰」や「無知」は、
専門的なことを、
勉強するのを怠けているとか、
専門知識がないことを指すのでは、
ありません。
「たいせつなこと」を、
あまりにも知らなすぎる。
見えなくなっている。
「たいせつなこと」へ、
心を遣うことを怠りすぎている。
そういうことです。
30年。
もうすでに手遅れだったのかもしれません。
今の担当者だけを責めるつもりはありません。
彼らも被害者なのかもしれません。
Aさんの文章の中には、
世の中の深い闇が、
いくつも見えます。
わたしが Aさんと見た現実は、
この世界の縮図なのかもしれません。
小さく弱いものの、
声なき叫びを、
長い間、
ないがしろにし、
蔑み、
ひどいときは、無いがごとくに、
扱ってきた、
その成れの果て。
ふと思いました。
とても恐ろしい映像が頭に浮かびました。
人間の欲を食べ、
巨大化した、
恐ろしげなモンスターが、
人間を、
人間が作った構造物を、
喰いつぶす。
それは、
もしかしたら、
すぐ近くにある現実なのかもしれません。
何かが変わるとき、そこにはいつも悪役がいて、何かが壊されて、そこから何かに気付き、新しく生まれかわるのだとしても、壊れるものがあまりにも大きくて、その末路は誰も予想し得ない。
「これはもはや宿痾ともいうべきで、
簡単に治癒するようなものではない。」
わたしは、
未来への、
種を蒔くことは、
出来たでしょうか。
そこに居る人たちの、
その心に。
nicosa