あなたに会えたあの日から

生まれる前のやくそくが、今、現実になる

整理する


こんばんは。nicosaです。


わたしは今、子どもと子どもの本にかかわる講座に通っていて、赤ちゃんの絵本、わらべ歌について勉強しています。先日の講座の時、講師の先生が、「男性」、「父親」についてお話されていました。

とても興味深かったので、今日は、そのことをお話します。



最近は、
ベビーカーを押しているお父さん、
抱っこ紐を付けているお父さんを、
よく見かけます。


わたしの主人や、
わたしの弟は、
「恥ずかしい。」っと言って、
なかなかしなかったことです。




講師の先生が、
図書館などの「おはなし会」に、
絵本の読み聞かせをしに行くと、



最近は、


よく、


お父さんと赤ちゃんで、
来られているのを、
見るようになったそうです。



育休を、

お父さんも、
取得できる、
取得しやすい、
世の中に、
なりつつあるのかもしれません。



先生は、

「とても、よいことだと思って。」

と、
嬉しそうに話されていました。




そして、
こんなことをおっしゃっていました。


「男性が赤ちゃんと接することは、男性が、
小さいもの、弱いものを知る、
とてもよい機会だと思っています。」



「男性が、小さいもの、弱いものを、
それがどんなものなのかを知っておくことは、
とても大切なことだと、わたしは思っているんです。」




男性のもつ性、
男性が生まれながらに持っているものには、
結果や、一貫性を大切にし、
分析的、理論的、専門的であることを大切にする、
そんな側面があると言われています。




そして、この側面を追い求める想念が、
強くなりすぎたとき、


暴力、破壊、支配


これが、
生まれてしまう、


そんなふうにも言われています。




今の世の中には、
結果や、一貫性、
分析的、理論的、専門的であることが、
求められる風潮があります。


それは、
悪いことではないと思います。



でも、
それを求め過ぎると、
求める想念が強すぎると、

暴力、破壊、支配が生まれてしまう。


祖母の言っていた言葉。
「人の強い想念ほど、恐ろしいものはない。」



想念が、
執着を生み、
執念になる前に、

執念が、
それを受け取る人を、
壊してしまう前に、

目には見えない想念を、
調節する術を、
身につけることが、
大切なのかもしれません。



「小さいもの、弱いものを知ること」
その最たる存在である赤ちゃんと接すること、
それは、
その術を身につけるために、
とても有効なのだと、

想念が執念に変わるのを、
食い止めるストッパーになるのだと、

先生は、
おっしゃったのだと思います。





世の中には、
男性の反対側の性を持つ、
女性がいます。


わたしは、
性別は、
女性です。


でも、
子どもの時から、
「分析的」で、「理論的」なことの方が、
得意でした。


今も、
「結果」や「一貫性」「専門性」を大切にして、仕事をしています。



それは、
わたしの父が、
そうだからだと思います。
父は、長く、薬品の品質管理をする、
白衣を着て仕事をする、
専門家でした。


品質管理には、一貫性が大切で、
日々、分析して、品質を維持し、
安全な薬品であるという結果が大切で、
簡潔に、理論的に、その結果を公表することが良しとされます。


父は、
普段も、
そういうものの考え方を、
する人なのです。



わたしの職場には、
女性が多いのですが、


よく、
統括者・リーダーの立場にある女性から、


nicosaさんの言うことは、
正論で、
明快で、
理論的で、
間違えていないと思うけれど、
わたしには、
そんなふうに話をすることはできない、
そういう発想ができないと、
言われることがありました。


そう言われちゃうと、
何も言えませんでした。


数字を使って目に見えるように、
クライアントに、部下に、会社に、説明をしない。
場の調和を大切にするため、
自分の考えに一貫性がないように見えてしまう。
結果よりも、過程にこだわる。


今思うと、
それは、
その人たちが、
「女性だから」、
なのかもしれません。


女性には、
調和し、協力し、育む力があると言われています。

そして、
その過程では、
小さなことを積み重ねること、
一つ一つ丁寧に重ねていくこと、
それを大切と考えるのが、
女性の性の持つ特徴なのかもしれません。




男性的な性と、

女性的な性と、

それは、
違うものなのだなあと、
そう思います。



また、
祖母の話を思い出したのですが…



nicoちゃんの生きる時代は、女の人も、自由に世の中に出て働く時代。」


「ばあちゃんたちのような、女は家で、料理、洗濯、掃除、子育て…の時代とは違う。」


「とてもいいことだと、ばあちゃんは思うの。」


「男の人と同じように、選挙のときに投票できたり、男の人と同じように、課長さんをしたり、社長さんをしたり。」


「でもね、nicoちゃん。その時代を生きようとしているnicoちゃんに、こんなことを言ったら怒られちゃうかもしれないけど。」




「男の人には、男の人の役割がある。女の人には、女の人の役割がある。」




「ばあちゃんはね、そう思っているの。」




「今はそう思えなくても、nicoちゃんにも、そう思える時が来ると思う。」


「cicoちゃんは澤さんみたいになりなさい。nicoちゃんは、自分のしたいことをね。」



死ぬ前の年、
最後に会った時に、
祖母はそう言っていました。



たぶん、
わたしは、今、

子育てを通して、弱いもの、小さいものと接し、
しごとを通して、性の両方の側面を体感し、

自分の性を整理しているような気がします。


自分の、
男性的な性と、
女性的な性と。


ずっと、
男性的な性に少し偏っていて、
それが原因で、
女性の中では、
生きにくい時も、
あったような気もします。



わたしの中には、
女性的な性もありました。


わたしは、
調和、協力、育む、
それを大切にする気持ち、
それを好む気持ち、
それも持ち合わせています。


今は、
女性的な性に、
自分を戻していっている。


性の整理と、
性の理解がだいたい終わったら、
わたしは、
女性的な性を活かす、
そんなしごとに就くのかもしれません。


昨日、
祖母の話を思い出して、

ふと、

そう、

思いました。




たぶん、
男性でも、
女性でも、
両方の性の特徴を持っているような、
気がします。


体の性と、心の性が違う人も、
いるのだと思います。


どんな人も、
もし、
自分の反対側の性をもつ、
たった一人の人と出会えたら、


もう、
安心して、
反対側の性を、
自分から外してしまっても、
大丈夫なのかもしれません。



無理をして、
両方の性を持たなくても、
安心して、
生きられるのかも、
しれません。



一つの体に、
二つの性を持つことは、
とても大変なエネルギーのいること。
とても辛いこと。


だから、
性を整理する。


きっと必ずどこかに居る、
たった一人の、
もう一人の自分、
反対側の自分に出会えたら。

祖母が祖父と出会えたように。



男性の性も、女性の性も、どちらも大切。
バランスよく。


それが、
きっと、
一番、
いいのかも。



祖母が、
わたしに言いたかったのは、
きっと、たぶん、
そういうふうなこと。



祖母の話を書き起こしてみて、

そんなふうに、

思いました。










nicosa