あなたに会えたあの日から

生まれる前のやくそくが、今、現実になる

暗闇


こんばんは。nicosaです。



今日は、
不幸な出来事が、
わたしの身につづけざまに起こっていた頃のことをお話します。





時期でいうと、2000年から2008年。



大きな出来事だけあげてみると、




主人の勤務先の倒産



普段利用している電車の路線での大事故発生



流産



持ち家を手放す



友だちの余命が、あと5年だと聞かされる。









主人の勤務先が倒産した日のこと、
今も覚えています。


わたしはその日、
仕事が休みで、
家にいました。


出勤した主人から、
電話がかかってきて、
わたしが電話に出ると、
主人はこう言いました。



「ダメだ。」


「潰れた。」


「会社が。」



「ビルも机も椅子も全て差し押えられるらしい。」


「ロープが張られてて、会社の中に入れない。」


「記者会見するらしい。」


「テレビで知る前に、ぼくから言っておいた方がいいと思って。」


「大丈夫だから。」


「ぼくの部署は、今日の内に独立させる。」


「会社をつくる。」


「お客さんに、迷惑はかけられない。」


「手伝ってくれる人がいるから。」


「心配しなくていいから。」

「今日は帰れないと思う。」

「心配しなくていいから。」

「また電話する。」



わたしが何か言おうとしたら、
電話は切れてしまいました。



わたしは、
主人の勤務先のことを伝えるニュースを、
テレビで観ました。

地裁へ民事再生手続きの開始を申請したと、
伝えていました。



わたしは、
なぜか、
わりと、
平気でした。




こういう時、


こういう、
重大な事件が、
自分の身に降りかかった時、


それが、
重大で、
大きければ大きいほど、





わたしは、
いつも、
俯瞰するのです。



俯瞰して、
その状況にいる自分を、
上から見下ろして、


「ふーん、大変だね。」


と、

他人事のように、
冷静に見る。




それは、

自分が傷つかないようにする術?


自分を守るために、
無意識のうちにする癖?



小学生の頃、
いじめにあっていた時に身につけた、
自分を守る術?


もっと前、

両親が忙しくて、
困ったことがあっても相談できず、
自分一人で解決しなくてはならないときに、
自分の置かれている状況を冷静に見る癖?


今、思い起こしてみると、
…そういうことなのかもしれません。





でも、
冷静に俯瞰できないこともありました。




自分の中に宿った小さな命を、
自分の中で殺めてしまったという事実。


たいせつな友だちの余命の現実。


身近な場所で、たくさんの人が一瞬にして亡くなったという現実。




受け入れられませんでした。







あまりにも儚い、命の有り様。


理不尽な死。









この3つの出来事は、

今もまだ、
自分の中で、
きちんと整理は、
できていないのです。


整理できるようなことでもなく、
整理するようなことでも、
ないのかもしれません。







人生に起こることは、
ぜんぶ、修行。


そこから、何かを勉強して、
そこで、何かを練習する、
そのために起こる。


祖母は、
いつもそう言っていました。



暗闇の中で、わたしは何かを見つけたのでしょうか。

暗闇を抜けたとき、わたしは「約束の場所」に向かっていました。







nicosa