こんにちは。nicosaです。
1933年5月10日、40,000以上の人が集まったベルリンのオペラ広場(Opernplatz)で、「彼らの書物を焼き払う」との演説が行われ、
その同じ日、ドイツの34もの大学都市において、国家主義者の学生がトーチを掲げながら「非ドイツ的魂への抵抗」の行進を行い、学生たちは、25,000巻を上回る「非ドイツ的な」本を燃やしました。
「彼らの書物を焼き払う」と名指しされた作家の中に、ドイツの詩人・作家・児童文学作家 エーリッヒ・ケストナー(Erich Kästner、 1899年2月23日 - 1974年7月29日)の名前もありました。
ナチズムの思想に合わないとされた書物は、ナチス・ドイツによって儀式的に焼き払われました。ナチス・ドイツの焚書(ナチス・ドイツのふんしょ、Nazi book burnings)と言われている事件です。
国家による、検閲と文化の支配の時代。
この焚書事件は、その支配の時代の到来を告げる不吉な予兆となりました。
焚書が行われた場所のひとつに、
ベルリンのミッテ地区にある
ベーベル広場がありました。
国立歌劇場、
かつての王立図書館、
聖ヘートヴィヒス大聖堂など
歴史的建造物が立ち並ぶこの広場の
その石畳の中に、
小さなガラスの板が埋め込まれた場所があり、
そのガラス板の中を覗きこむと
空っぽの書棚が
地中深くへと続いているのが見えるそうです。
これはイスラエルの芸術家ミハ ウルマンによる「図書館」という作品で、ナチス・ドイツの焚書の記念碑でもあります。1995年に造られました。
この「図書館」には、
本は一冊もありません。
この「図書館」は、
1933 年 5 月 10 日に、
人間のエゴによって焼き払われた
本たちの墓場であり、
この事件を忘れないようにと
警告する記念碑でもあります。
ベルリンは、
世界各国で映画化され舞台化された
ケストナーの児童文学作品「エーミールと探偵たち」の舞台となった街です。
主人公エーミールのお金を盗んだ泥棒を、
エーミールとその友だちが
探偵となって追跡していくお話しで、
ベルリンには、
「エーミールたちが追いかけてた泥棒が
置き忘れていった山高帽を見せてください!」
とお願いすると、
山高帽子を見せてくれるホテルが
今もあるそうです。
焚書事件のあった1933年当時も、
ケストナーの児童文学作品は、
国民に大変な人気がありました。
その作品を焼き払うことは、
国民の大きな反感を招くことになるため、
ナチス・ドイツは、
ケストナー作品の内の、児童文学作品だけは、
焚書の対象としなかったそうです。
この焚書事件の話を、
わたしは、司書講習のときに勉強しました。
講師の先生が、
焚書の写真を見せてくださったとき、
目頭が熱くなりました。
自分の好きなエーリッヒ・ケストナーの作品も焚書の対象になったこともあり、とてもショックだったのを覚えています。
わたしが、
図書館や本を、
とても好きで、
大好きで、
それを守りたいと思ったのは、
この事件のことを知ったのも一つの理由かもしれません。
この前、
家にある本を整理して、
一冊一冊、表紙を磨き、
必要な人のもとに届きますようにと
梱包していたとき、
わたしが本を大切にして、
図書館を守りたいと思って
行動したことが、
あのとき、人間のエゴによって
焼き払われた本たちを
癒すことになっていたのなら
それはそれで
がんばってよかったかもしれないなと、
そんなふうに思いました。
nicosa