今日は、いつもわたしが母に言われること、いつも気を付けていることをお話しします。
子どもの頃、
今もかもしれません、
わたしは静物と話をするような人で、
ともすれば、
自分の心の中の世界に、
閉じこもってしまいます。
些細なきっかけでも、
とても簡単に、
鍵をかけて。
誰も入れないように。
そんなわたしを、
叔母はいつも、
「夢見る夢子ちゃん。」
「不思議ちゃん。」
と呼びます。
叔母は、学校卒業後、広告代理店に勤めました。退職し、フリーのイラストレーターになりました。結婚をせずに、今も一人で暮らしています。
結婚をしない女性、
自立した女性、
そんな女性がまだ少ない時代に、
自分の働いた対価をもとに、
生活し、余暇を楽しみ、自由に、
生きてきた女性です。
叔母は、
何も言わないし、
人前で涙を見せたりはしないけれど、
いつも、
現実と、
たった一人で、
戦ってきたのかもしれません。
そんな叔母から見れば、
すぐに現実逃避してしまうわたしは、
「不思議ちゃん。」
そう見えたのだと思います。
わたしは、
今までに、3回、
引きこもりになっています。
いつも、そこから引っ張り出そうと背中を押してくれるのは、母でした。
母は叔母の姉で、三人きょうだいの長女です。
母は専業主婦ですが、あまり体が丈夫な方でなく、わたしの弟を生んだ頃、叔母に一緒に住んでもらい、家事を手伝ってもらっていたようです。
そんな事情もあって、わたしは祖母の家によく預けられていました。
母がいつもわたしに言うのは、
「人とかかわることをやめたらダメ。」
ということ。
小学生の頃いじめられていた時、
大学1年生の頃、自分の進路はこれでよかったのか悩んだ時、
流産した時。
外の世界へ出て行くのが億劫になりました。
過食症と拒食症を繰り返しました。
生きて行くのが、しんどくなりました。
でも、
それは、
叔母から見れば、
「甘え」にしか、
見えなかったでしょう。
親が働いていたから、
配偶者が働いてくれたから、
引きこもることができる。
人とかかわらず、生きていることができる。
引きこもっても、生きている。
人に依存して、生きている。
そんな人間に生きる意味はある?
そう思うと、
だんだん、
どんどん、
外の世界は遠くなりました。
母は、そばに居るときも居ない時も、わたしが外に出なくなるとき、わたしを引っ張り出す、背中を押すタイミングを知っていました。
母親だからなのか…
手を引っ張って連れ出すのでは、
ありません。
そばに来て、
そっと、こう言うだけ。
「nicoちゃん、人とかかわることをやめちゃだめ。」
そう、ひとこと言えば、
わたしが、
今、人とかかわる方法を、
自分で、考えて、
玄関から外の世界へ出て行くことも、
母は知っていました。
自分で納得して外へ出て行くためには、
納得する時間も必要だということも。
思い悩む時間もたっぷりと必要で、
でもそれは長過ぎてもダメで。
タイミングが大事でした。
自分で納得して、
自分の足で外へ出ると、
外の世界は新鮮で、
楽しいこともたくさん見つかりました。
今、
わたしはまた、少し引きこもっています。
有給引きこもりですけど。
わたしは、
この引きこもりは、
次に踏み出す新しい一歩のための充電期間だと、
知っています。
引きこもりができる人は、
現実を直視できている人。
見えているから、
知っているから、
生きるのが、
外の世界とかかわるのが、
辛くなる。
納得するまで、
自分の見た現実を受け止め、
自分も見つめて、
それから、
また外の世界に出て行けばいいんだと、
今は、そんなふうに、思っています。
引きこもりを上手に使って、
人とかかわることを続けていく。
母に教えてもらった、
生きる裏技。
引きこもる贅沢が許されるのなら、
そんな生き方もいいんじゃないかと。
そうやって、
ゆっくり一歩一歩、
ていねいに進んでいくのもいいんじゃないかと。
頭の中や、
心の中で作り上げても、
それは絵空事。
現実の中にしか、
答えはないんだと、
今はそんなふうに思っているんです。
それに何より、
心の中に絵を描くよりも、
現実に絵を描く方がずっと楽しい。
ちょっとエネルギーを使うし、
がんばりすぎると病気もするけど。
だけど、やっぱり、
その方が、ずっと楽しいと思うんです。
現実を心で感じることができたなら、
次は人とのかかわりの中で現実を自分の手で描こう。
(きっと、たいせつなことは、わたしはもう、知っているから。)
わたしがいつも気を付けていること。
nicosa