こんばんは。nicosaです。
2018年の11月末。
わたしたち家族は、丹後半島の付け根にある、「大江山」に登り、雲海から昇る日の出を見つめていました。
大江山に向かう途中、
入り江の周りを車で走りました。
入り江の向こう側には、
天橋立がぼんやりと見えていました。
日本海の、
冷たい空気に包まれた、夜明け前、
丸い白いお月さまが、
波の上に浮かんでいました。
山を登り、
日が昇り始める前に、
目的地の大江山鬼嶽神社に着きました。
神社の境内で、静かにその時を待っていると、
雲海の中から、オレンジ色の太陽が、
顔を覗かせました。
夜が明けていくその瞬間を、
わたしとcicoは、
しっかりと目に焼き付けました。
主人は、心が洗われるようだと言いました。
美しい雲海と日の出を見ることができる、
この大江山は、
酒呑童子(しゅてんどうじ)という酒好きな鬼の頭領(盗賊の頭目)と鬼たちが暮らしていた山としても知られています。
そして、また、
源頼光と四天王が、
都に出てきては悪いことをする、
酒呑童子たちを退治した、
「大江山の鬼退治」という逸話が残る山としても、広く知られています。
結婚してから、
娘のcicoが生まれ、
cicoが2歳になるまで、
わたしたち家族は、
兵庫県川西市の満願寺(まんがんじ)という、
寺の近くに住んでいました。
あの頃、
満願寺の仁王門をくぐり、
境内で金太郎飴を買うのが、
cicoとわたしのお気に入りでした。
金太郎の伝説には、
諸説ありますが、
満願寺にも、
坂田金時(さかたきんとき)の墓があって、
金太郎の伝説が伝え残されています。
金太郎は、
天延4年3月21日(976年)、
足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、
その力量を認められて、
頼光の家来となりました。
名前を坂田金時と改名し、
京にのぼり、
頼光四天王の一人となります。
そして、
坂田金時は、
頼光と、
他の四天王とともに、
大江山の鬼退治に向かいます。
山伏姿に身をかえて、
神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って、
酒呑童子を退治しました。
金太郎さんは、
わたしにとっても、
cicoにとっても、
とても馴染みの深い人物で、
ずっと長い間、
金太郎さんは、
わたしたちのすぐそばに、
居てくれました。
わたしたちを、
見守っていてくれたのかもしれません。
金太郎さんたちに退治されたと言われている、
酒呑童子という鬼。
わたしとcicoは、
見たことがあります。
金太郎さんの寺の近くに住んでいた頃は、
その人が酒呑童子だとは、
気付きませんでした。
なぜ、
その人は、
鬼になってしまうのでしょう?
お酒を飲まなければ、
とても優しい人です。
お酒を飲むと、
鬼になり、
鬼になってしまうと、
誰にも、どうすることもできません。
その人の両親がどんなに言って聞かせても。
その人を生んだ、その人の母親からは、
鬼になって、
どうしようもなくなったら、
cicoを連れて逃げなさいと、
言われています。
ゆっくりと進むその人は、きっと、
人が見落としてしまうことも、
拾うことができる人です。
静かな人で、
お喋りは苦手です。
だから、
ほんとうは、
営業の仕事は、
向いていないのかもしれません。
その不得意な部分を、
あからさまに侮辱する人もいました。
酒呑童子にとって、この世の中は、
生きにくかったのかもしれません。
わたしは、
この人を成敗するつもりはありません。
長い間、一緒に生きてきた、
大切な人です。
でも、「鬼」は、
退治しなくては。
cicoのためにも。
わたしのためにも。
わたしには、
何ができるでしょう。
ひとつだけ、
分かっていることがあります。
ここに生まれてしまった、
「鬼」を退治するのは、
金太郎さんではありません。
わたしにしかできないんだと、
そう思っています。
「鬼は人の心がつくるもの」
「鬼」は、
「鬼のように見えるもの」は、
それを生み出してしまった、
わたしたちがつくった、
社会やしくみを変えなければ、
いつまでも、いつまでも、
あとから、あとから、
生まれてきて、
いつまで経っても、
居なくならない。
わたしにできる鬼退治の方法で。
わたし一人では小さなことしかできなくても、それでもいいから。
nicosa