あなたに会えたあの日から

生まれる前のやくそくが、今、現実になる


こんばんは。nicosaです。



家の近くの桜の花が満開です。
どんなときにも、桜の花はちゃんと咲くんだなあと、そう思いました。



感染症が流行して、
人間は、
こんなに慌てふためいているのに。





社会性を重じてきた人間社会は、
違いや変化を受け止めるのが、
とてもへたくそで…




はじめてのこと、

いつも通りでないこと、

「違う」ということ。



これほど多様化する変化の時代に、
まだそんなふうに、
違いや変化を必要以上に恐れてしまう。


大切なことが見えなくなるほど動揺して、
小さく弱い、言葉を発さない者を侮蔑して。


目の前にある、
いつもと違うものを、
正しく恐れ、
受け止める、
その冷静さを失ってしまう。





もしこの時代を、上手に生きるヒントがあるとしたら、それは「他人の靴を履いてみること」で見つけられるかもしれません。



これも、この前、

テレビで誰かが言っていました。






どうしたらいいか分からないとき、
何かしたいのだけど、
何をすればいいのか分からないときは、


自分以外の人の靴を履いてみる。
他人の靴なので、とても違和感を感じる。


自分と、その人の、
足の形は違うから。


足の形が同じ人なんてほとんどいない。


「この人の足の指、親指だけ大きいみたい…。靴の足先を少しだけ広げてあげたら、きっと、歩きやすくなると思う。」


どうしたらその人が歩きやすくなるか、
ちょっとだけ想像してみて、


ちょっとだけ自分以外の人に、
気持ちを寄り添ってみるだけで、


自分も、自分以外の人も、
しあわせになるヒントが、
見つかるかもしれない。


そんなお話でした。







わたしはというと、
小さな子どもの頃から、
自分と「違う」人を見つけたとき、
その人に興味を持って、
自分から近づいていく、
へんな癖がある子どもでした。


「違う」人の方が、
「普通」の人より、
「おもしろい」と思っていたのか…
自分でもよく分かりません。



幼稚園、小学校、中学校、高校の、
わたしの担任の先生から、
母はよくこう言われたそうです。


nicoちゃんがいるだけで、そのクラスから仲間外れがなくなるんです。」

「本人は仲間外れの子を助けようとしてる訳じゃないので、気付いていないと思います。」

「何か特別なことをしているようには見えないのに…不思議な子です。」




大の大人になってからは、
少しは社会性が身について、
無意識に「他人の靴を履いてみる」ことは、
なかなか難しくなりました。



だから、
どうしたらいいか分からないときは、
何かしたいのだけど、
自分は何をすればいいのか分からないときは、



そんなときは、
自分を思いやりながら、
側にいる人にも、
もう少し寄り添ってみることにしています。



違和感があるのは、
気に入らないのは、
自分と違うから、
自分と同じじゃないから。



どうしても許せなくても、
一旦受け止めてみて、
ちょっとだけ寄り添ってみたら、
きっとその人の心の中が見えてきて、



その「許せない人」は自分の目の前から居なくなり、「許せない人」だと思っていた人は、当たり前に側に居る人になり、



いつの間にか、
あんなに怯えて、
「こんな人、居なくなってしまえばいいのに!」
って思ってた日があったなんて、
思い出せなくなる日が来るかもしれません。



「非常時」と、
周りが大騒ぎするときこそ、
冷静に、

周りのいろんな人の「靴を履いてみて」、
その人の履き心地を想像して、歩きやすくなるように工夫をして。


「想像する力」、「工夫する力」。
自分で考えて見つけていくことが、今、とても必要なのかもしれません。






nicosa